いのちと向き合う

【いのちを奪う覚悟】

この場をお借りして私の”いのち”に対する考えを書かせて頂こうと思います。

これは私の覚悟や考えであって

特定の考えである誰かを

否定している訳ではありません



狩猟免許を取るにあたって、避けて通れない覚悟が1つだけあります。

捕獲した狩猟対象の動物の とどめを刺すこと です。

犬、猫、うさぎ、ハムスター、亀、魚、鳥。

私は物ごごろ着く頃には動物をたくさん飼っていて、そして、たくさんの動物を見送って来ました。

そして私は今もこれからも、その先もずっと、素晴らしい人生のパートナーとして彼らと歩んでいくつもりです。

そして見送っていった彼らと、いつか虹の橋のたもと会えるその日を心待ちにしているのです。

『ずーっとずっとだいすきだよ』作・絵: ハンス・ウィルヘルム


【いのちの矛盾】

どんな”いのち”も【平等】と教えられ育って来た私にとって

犬や猫などの【人間】にとっての愛玩動物の”いのち”は救うのに

牛や豚などの【人間】にとって

捕食対象である”いのち”を食べ

イノシシやアライグマなどの【人間】にとって

不都合を生じさせる害獣の”いのち”を奪うという

その矛盾に苦しめられます。

なんて人間本位な。

世界は矛盾で満ちています。

動物の”いのち”を奪うことに心を痛め、菜食主義になる方もおられますね。

“菜”は“いのち”ではないのでしょうか?

”いのち”の単位ってものすごく難しい

菜食主義者の方に矛盾をつきつけ、批判したいわけではありません。

ただ、心に留めておいてほしいのです。

私たちの食卓に並ぶトマトやキュウリ、大根、豆類たち。

これらは誰かが獣から守ってくれたお野菜たちなんです。

そして、畑を守るのに、大けがをしたり、”いのち”を落としてしまう猟師さんも少なからずいるのです。

私は農家のはしくれです

このまま害獣被害が広がればスーパーに並ぶ国産の野菜は

高騰するか

もしくは、無くなってしまうでしょう

【いのちの現場】

私は”いのち”の現場を知らないままに

普段食卓にでているお肉をおいしく食べていながら

また誰かが”いのち”の危険を抱えながら守ってくれた畑の野菜を食べながら

むやみに動物殺すの反対!なんて言うのには違和感を覚えます。

野菜や肉はスーパーからポッと生える物ではありません。

おそらく『わたしのいのち』がここまで保つのに

たくさんの”いのち”を犠牲にして来たのでしょう。

私は向き合いたい。

【そして行き着いた答え】

私は覚悟を持って、いのちの現場で”いのち”に向き合い、怖いからと言って他の人に任せず

自分が捕まえた動物は、キチンと私が止め刺しをしようと思います。

私が女で非力だからという理由で苦しませてはいけない。

なるべく苦しまないように、勉強し、礼節を持って、食べられるものは食べようと思います。

それが私にとって《いのちに向き合う》ということ。

     2018年 8月 Nozomi

狩猟とは『いのち』を扱う、大変繊細かつ人間本位な生業であること、そして不快に思う方もたくさんいらっしゃることを重々理解した上で記事をあげさせて頂きます。

厳しいご意見やご感想もしっかりと心に刻み精進して参りますので、何卒よろしくお願いいたします。